転院と下咽頭ESD手術その1

手術の準備に向けた検査の結果、
血栓のデータが悪かったため下肢超音波の検査が
追加され【医師として容認できない!】と言う
事態になった訳ですが、問題をこじらせた原因は
頭頚科の担当医の対応に有った事が
後日、診察時にご本人の話から分かりました。

頭頚科担当医の診察がこの後、数回有りましたが
その都度不信感が深まり、とても信頼関係を
醸成するには至りませんでした。

このような環境下で手術をして頂く気持ちには
到底なれず、手術待ち期間の長さもあり
自分で他病院を探すことにしました。

まずセカンドオピニオンを受けてから
考えを纏めてみようと思い、
がん研有明病院に相談したところ、
医療連携課が窓口でしたが、
その対応の素晴らしさに心の中では
その場で転院を決めていました。

妻と相談して、セカンドオピニオンではなく
転院のための紹介状を書いて貰い、
転院しようと決めました。

国立 がんセンターの頭頚科担当医には、
「手術待ちの期間が短くなりそうです」という
名目を立てて紹介状を書いて貰う事にしました。

紹介状を書く段階で、
今までの検査資料を添付する様子が
全く見受けられなかったので
「資料を付けてほしい。」とお願いすると
「向こうでまた検査するので必要ない。」と
一蹴されてしまいました。

また「必要になったときは連絡が来るので、
来たら渡す。」とのことでしたが、
体裁を繕うためか、喉の画像を白黒で
プリントアウトした物と、直近のCT検査を焼いたCDが
付け加えられました。

言わば「子供の使い」の様な紹介状を持って
がん研有明病院の頭頚科を訪ねましたが、
この遣り方のない心情を誰かに知ってほしいと、
この時強く思いました。

案の定、紹介を受けた頭頚科の医師が
検査資料の殆どない状態での診断に途方に暮れている
様子が手に取るように判りました。

日を改めて内視鏡担当医の診察を受け、
一週間後再検査となりました。

内視鏡検査では、診察をされた内視鏡医師が担当され、
いままで私が受けた事のない方法も
取り入れられ、 入念な検査が行われました。

CT・内視鏡検査から一週間後再び
内視鏡担当医の診察が有り、 四か所生検したところ、
食道にごく初期で小さい「表在がん」 が見つかった
との診断が有りました。

妻と二人、終わりのない「がんとの戦い」が
まだまだ続く事に一瞬目先が真っ暗になり、
絶望感に包まれました。

気を取り直して、初期中の初期段階で
見つけてもらえたことに感謝をし、
下咽頭がんの手術日程を聞いたところ
来月の第三木曜日で予約を入れるというお話でした。

初診から約一か月での手術になり、
主治医に対しての信頼感も増し、
待ち期間の件を含めて転院して良かったと思いました。

今回見つかった新たな食道がんへの対応は
下咽頭がんと同様のESDで予定し、
下咽頭がんの処置を終えてからスケジュールを
考える事になりました。

新たな食道がんが見つかった事でそれまで以上に、
がんセンターでの検査資料が必要とされ、
内視鏡担当医からがんセンターへ、
検査資料要請の手紙を書くこととなり
宛先を聞かれましたので、迷うことなく
食道がん治療時の主治医の名を挙げました。

今回の検査結果に、実弟や義理の母が
相当がっかりするであろうと 想像しながら、
帰り道は重い気持ちで一杯でしたが
今までと同様に、 妻には今の気持ちを悟られないよう
振る舞いながら、淡々と家路を急ぎました。

手術予定日の一週間前に、
がん研での主治医から電話が入り
緊急手術が入ったので、私の手術を延期したい旨
連絡が有り、早急に日程を調整するという事で
その場は終わりました。

当初の日程に合わせ会社の休みを
三週間取っており、手術に対して心の準備を
していましたので落胆は隠せませんでした。

その後の担当看護師との電話連絡のやり取りで、結果的に
二週間後に私の手術が延期計画されている事が分かり、
それに向けて再度会社の休みの変更と心の準備をし、
場所が喉で全身麻酔を行う事から、
万が一の備えもして置きました。

がん研有明病院では、部屋の空き具合で手術の日程が
変わる事も有り、個室を積極的に進めてられ
「今回の入院は個室でも構わないかなぁ」と
内心は思っていましたが、
妻の意見を尊重し四人部屋を希望しました。

結局当日になって空きが出て
四人部屋に入ることになりました。

手術の前日からの入院で昼食から流動食が始まり
夕食後から翌朝9:30までは飲み物可能でしたが、
それ以降は絶食となりました。

私の前に行われている手術が押し気味で、
私の手術は12:30開始予定でしたが2時間遅れの
14:30の開始になりました。

手術を受けるのは高校一年生時の
盲腸以来で50年近く経っていました。
その時のイメージが未だ抜けておらず、
手術室は寒いものと勝手に決めていて、
それが悩みの種の一つになっていましたが、
手術台が暖房されておりそれだけで安心感に包まれ、
後は主治医に全幅の信頼を置き全てを託しました。

がんセンターで作ったマウスピースを自分ではめ
数を数え始めたら寝てしまい、夢の中で起こされたら、
酸素吸入器が外され手術は終わっていました。

ベッドに移され病室に帰る途中で、
妻に時間を聞くと5時ごろとの返事が有り
「正味二時間ぐらいの手術だったのだなぁ」と
思いました。

病室で主治医からの説明が有り下咽頭がんの患部を、
縦横4×3.5削ぎ取り手術自体は順調に終わった
とのことでした。

後で妻から私の手術中ずっと泣いていたと
聞かされましたが、
二人にとっては簡単な手術などでは全く無く、
覚悟を決めた二時間だったと思いました。

下半身は両足に血栓を防ぐマッサージ器・強制排尿器が
取り付けられ、腕には点滴・口と鼻には再度酸素吸入器と
病室に帰ってからも身動きが取れない状態でした。

そのような状態の中、出血が痰と鼻水の様になり
ひっきりなしに出てきティッシュペパーの箱を
一晩で一箱使い切ってしまいました。

内心、出血の多さに心配で堪りませんでした。
寝てしまったら出血で気管支が塞がれてしまい、
窒息するのではないかと言う不安感で
二日間は一睡もできませんでした。

術後翌朝には、排尿器とマッサージ器が外され
自力でトイレに行く事が出来ました。

排尿用のカテーテルが外された後、
膀胱炎の様な尿道炎の様な出血と不快感が
四日か五日位続きましたが、
想定内の現象だろうと考え看護師にも医師にも
訴えることはしませんでした。