二回目の退院と治療結果

退院後、入院直前と同じメニューで初めて夕飯を食べようとした処、
まずトマトが食べる事ができなくなっており
次にマグロの刺身が駄目でした。

両方とも口から喉へ飲み込もうとした途端、
物凄い沁み感が起こり食べるのを止めてしまいました。

放射線治療により喉から食道にかけての炎症が
かなり進んでいる事を実感しました。

この後、朝食ではバナナ・ジャム・レーズンパン、
夕食では牛肉・ブロッコリー・納豆・温泉玉子と
次から次に食べる事の出来ないものが出現し
妻の負担が益々増大して行きました。


このような中、温野菜と同じ様に火を通すことで
喉の抵抗がなくなるのではないかと、
食べられなくなった冷奴を湯豆腐にして貰ったりして
食べていました。

以前から処方されている潤滑油的な内容液と
痛み止めのシロップがここに来て効果を発揮し、
これらを食前に飲まないと食事ができなくなりました。

また、退院後微熱が続いていましたが四日目にして、
もっとも恐れていた骨髄抑制が原因となる
39度以上の高熱が出、
自分の心の中では肺炎の心配も起こり
精神的にもかなりのダメージを受けました。

退院時に処方された解熱剤を飲んだところ、
4~5時間位で高熱は収まりました。

高熱が収まっても微熱は続きましたが、
この様な状態であっても
放射線治療は一日も休むことなく通院しました。

この時期の一日のメニューを振り返ってみますと、
朝食はパン・ハチミツ・牛乳、昼食は蕎麦や素麺か
手作りの焼きそば(豚肉入り)、
夕食は毎日すべてにポン酢を使い、
白身魚の刺身(たまに豚もも肉や鶏もも肉のステーキ)
・温野菜(キャベツ・いんげん・人参・ほうれん草等)
・湯豆腐、と言った処でした。

退院後の初めての主治医の診察で
微熱が続いていることを訴えると、
これだけの量の放射線を浴びたら喉から食道にかけて
炎症が起こるのは当たり前のことであり、
それによる微熱であって、炎症は今後強くなって
治まるまで相当な時間がかかるとのお話でした。

微熱に対しては熱を下げる薬を
毎食後飲むよう処方されました。

その薬の効果が出て一週間後には
37度前半まで熱は下がりましが、
風呂に入るのを避けシャワーだけの日々が
その後も一カ月半位続きました。

退院後10日目にして放射線治療は終了しましたが、
食道と喉の痛みが日増しに強くなり、
同時に食前に飲む痛み止めのシロップが
物凄く沁みるようになりました。

先の見えない思いに妻と二人、
共に気持ちが沈みかけましたが、
がんとの闘いであることを
再認識し気持ちを再度奮い立たせました。

一歩前進・半歩後退、
一進一退(「今日はやっと少し良くなったかなぁ」と
思っていると、次の日は二日前の状態に戻る
という事の繰り返し。)等の言葉が
丁度あてはまる様な状態が暫く続きました。

二回目の退院後一か月が経って
やっと徐々にではありますが、治療前に食べていたものが
食べられるようになってきました。

また、熱も36度後半で落ち着いてきました。

退院後五週間目に、治療の効果を調べる
CTと内視鏡検査・生研を受け、
その後に主治医の診察が有り、
食道がんは見事になくなったとの診断を受けました。

私と妻は、顔を見合わせて喜びをかみしめ相ました。

その時の主治医の表情も
大変嬉しそうだったのが印象に残っています。

実弟・義理の母・食道がん治療から8年目の友人、
それぞれに検査結果の報告をすると、
全員が安堵と喜びを表わしてくれました。

特に義理の母は、私の健康を願って毎日のように
義理の父の仏壇を拝んでくれていた
という事だったので本当にありがたいと
思う気持ちで一杯でした。

私の娘には食道がん治療の結果が出たら
病気のことを話すつもりでいたので、
その間は孫たちに会いに行くのを、
その都度理由を作っては断り続けていいました。

娘はそのような私に対して漠然とした不信感を募らせ
盆に集まったときには追求しようと
息巻いていたそうです。

実弟にも友人にも勿論娘にも下咽頭がんのことは
話していなかったので、盆に皆で集まったのを機に
報告した処、当然みな残念がりましたが
表在がんであり内視鏡による手術で摘出できる事を
説明すると少し安心したようです。

今回の盆の集まりは全員にとって、
中締めのような形になってしまいましたが私にとっては
皆との強い絆を再確認できた集まりだったと思いました。