病院・治療方法の選択

知人や友人のアドバイスを参考に妻と相談した結果、
国立がんセンターを紹介して貰うことに決めました。

警察病院からの紹介は手術を前提にしていたので、
国立がんセンターの食道外科への紹介状でした。

がんセンター初診時は食道外科医でしたが、
食道を残す治療を前提にしたい趣旨を伝え
理解してもらいました。

この時の診察で、担当医がCTの画像を見ながら
他に気になる処が有る様子だったのが
印象に残っています。

その後がんセンターでの再検査で、下咽頭に
がんが見つかり重複がんとの診断を受けました。

初診の時、気にされていたのはこのことか、
と思いつつ
「二つのがんと向き合わなければならなくなった」
事の重大さに押し潰されそうになりましたが、
ここでも妻の心情を考えて
できる限り表情に出しませんでした。

同時に、主治医と治療方針とが決まり
化学療法と放射線療法でまず食道がんを治療し、
初期と診断された下咽頭がんは
後から内視鏡手術を行うことになりました。

できるだけ早い治療を要望していたので、
初診から2週間後に治療が開始され
非常に満足のいくスタートが切れたと思いました。

ここで病気のことを振り返って見ますと、
冒頭にも触れましたが前年の3月に
食道に違和感を覚え内視鏡の検査を行い、
全く異常がないとの診断を受けていました。

警察病院とがんセンターの二つの病院の
医師の話を総合すると
私のがんは、半年から10ヵ月位の間で
ステージ 1 に成長していたことになります。

またがんセンターでの初診時の話の中で、
食道がんは発症して1年未満で
死に至ったケースがまま有ると言われ、
私のがんの成長度合いが
決して早い方ではないとのことでした。

書物やインターネットで調べた病気の原因として、
自分に当てはまる最大要因を 考えますと、

前年9月から始まったマンションの下の階の
住人による嫌がらせから来る
ストレスであったと思います。

その部屋は、私達より前に入居していた住人が
7月に出て行き、8月に問題の住人が引っ越して来、
9月頃から音がうるさいとの嫌がらせが始まりました。

こちらとしては、防音カーペットを敷たり、
できるだけ音をさせないよう心掛けたりしましたが、
嫌がらせは一向に収まらず
妻は傷心して実家に帰ってしまい、
辟易とする日々を4か月位過ごしましたが、
我慢の限界を超え引越すことにしました。

新居に引越ししてから2か月足らずで
食道がんの自覚症状が出たことになります。

また、もう一つの大きな要因としては喫煙と飲酒です。
直近の10年間は意識して減らして きましたが、
それまでの30年間はヘビースモーカーであり
大酒飲みだったと言えます。

長年の飲酒・喫煙により発がんリスクが
相当高まっている処へもってきて、
かつて経験したことのないストレスが加わり
発病へ至ったと思っています。

マイナス面だけでなく、食生活でのプラス面を
過去30年間で振り返って見ますと、
生野菜を人の3倍~4倍は食べていました。

また喫煙・飲酒とは矛盾しますが、
世の中で発がん性があるとされた食べ物は
極力避けて通る食生活を送っていました。

40歳過ぎからは毎年人間ドックを受診し
好成績であったので自分は癌には、縁遠い方だろうと
言う思いを持っていたのも事実です。

話を現在に戻しますが、国立がんセンターで
重複がんと診断されてから入院までの2週間は、
自分が死んだ後のことばかりが
頭の中を支配していました。

お葬式の事やお墓のことを考えたりしていましたが、
特にお墓のことは先行き誰が管理をしてくれるのかを
考えたらそこで行き詰ってしまいました。

結論としては、身内だけの葬儀で、
湘南の海に散骨してもらおうと
自分の心の中だけで決めました。

しかし入院して治療が始まり、
日が経つにつれ死後についての考えが
時期尚早であるとの思いが強くなり、
結局誰にも相談することなく封印してしまいました。